アイリッシュ音楽

ロイズン先生

ロイズン先生

朝食は、7:30。オレンジジュースとトースト、3種類のコーンフレーク、牛乳そして紅茶。これは、何処へ行っても同じでした。なんか決まりがあるのかなぁ。

リマリックのバスセンターからアデア行きのバスに乗って、歌の先生の所へ。
アデアで降りて、先生に車で迎えに来てもらいました。そこから10分位走った所が先生のお宅です。辺り一面、何にも無い原っぱです。
30代半ばのロイズン先生。男の子と女の子のお母さんです。
日本からのお土産を渡して、早速レッスンが始まりました。
トラッドソングの歴史や分類から始まり、ずっと気になっていた装飾音の付け方や発音の仕方、様々な曲を実際に唄ったりと、実に細かい手直しをしてもらいました。
普通の会話はままならないのに、音楽の話になると何を言っているのか分かり合えるって凄くありません?
レッスンの合間に、キッチンで紅茶とクッキーを御馳走になりました。
さっきまで晴れていたのに、急に激しい雨が降り始めました。
キッチンの窓から見える、干してある洗濯物の事が気になったのですが、先生は知らんぷり。
「すぐに晴れてくるし、乾くまであのまんまよ」ですって。とっても大胆!?
本当に10分もしないうちに晴れてきて、愛犬の散歩に行く事になりました。

アイルランドは天候が変わり易いと、ガイドブックを読んで知っていましたが、こういう事なんですね。

リマリックへ

初めての国際線、見慣れない機内の様子にしばらくキョロキョロ。
日本人の姿が全く無くて、やっと覚悟が決まりました。
ここからは、水をもらうのも全部自分で言わなくちゃいけないんだ、、、、。
睡眠をとって、水を飲んで、ガイドブックを読んで、トイレに行って、映画を見てを繰り返しているうちに12時間、ヒースロー空港に到着。
エアリンガス航空への乗り換えが、表示を見ながら歩いても歩いても到着しなくて心細くなりました。
入国審査では、根掘り葉掘り聞かれました。英語しゃべれないのに、、、、。ホームステイ先の住所や日本での仕事等々。通過出来なかったらどうしようと、汗びっしょりです。
そして、いよいよアイルランドの上空へ! 雨が降っていたのでしっかりとは見えなかったのですが、緑色の島が見えてきて、「やっと来れた」という思いからウルウル。
シャノン空港で無事に荷物と再会。ホームステイ先のお母さんが、ウエルカムボードを持って迎えてくれました。
どんどん激しくなる雨の中、車で家へ向かいました。
お父さんもお母さんも嬉しそうにあれこれ話しかけてくれるけど、聞き取れずあたふた。
2人共、笑顔が素敵で大柄。日本人と体格が違うなぁと思いました。
シンプルな野菜サンドウィッチと紅茶を頂いて、シャワーを借りて、すぐ眠りました。

アイルランドに行かなくちゃ、、、、

定期的なバンド活動がなくなってからしばらくは、アイルランド関連のイベントで歌っていました。
そんな日々が過ぎる中で、「アイルランドに行きたい」から「行かなくちゃ」と思う様になりました。

どうせ行くなら出来るだけ長く、、、、と、3週間の日程で行く事に決めました。
目標を決めるとどんどん行動してしまう性格の私は、イベントでお世話になった方々に相談して旅行会社を紹介してもらい、また、現地でトラッドソングをどうしても習いたくて、事前にインターネットで先生を捜してもらいました。

リマリック、ゴールウェイ、ダブリンの3ヶ所を1週間ずつホームステイしながら、音楽を学んだり、観光をしたり、地元の人と交流したりする旅のおおざっぱなスケジュールが決まりました。
37歳にして初の海外旅行(それも一人旅)。
英会話力など心配だらけでしたが、普段の仕事で忙しくしていたので出発日はあっと言うまにやって来ました。
音楽のレッスンを全てMDに録音する為に大量の電池をリュックに入れたら、とんでもない重さになりましたが、こればかりは譲れないので我慢我慢。

そうして、2004年5月27日、アイルランドに向け出発しました。

パブに出演していて感じた事

毎回パブに出演して、歌を聴いてもらうのはとても楽しい事でした。
でも、アイルランドの土地で生まれ、代々歌い継がれてきたトラッドソングを歌っていて、どこか落ち着かない気もしてました。
日本の古い民謡や童謡は、その歌が生まれた場所の日々の生活と繋がっているものだと思うので、多少なりとも意味を理解して歌わなくてはというのが私の考えです。
そう考えた場合、アイルランドのトラッドソングを何も知らないまま、メロディーが綺麗だからとか、好きだからという状態で歌っていていいものかと、、、、、。
歌詞には、アイルランドの歴史や習慣や地名などが出てきます。
一度も行ったことのない、テレビや写真集でしか見たことのない国。
いつもパブのお客さんの多くは、外国人でした。それもアイルランド人だったり、アイリッシュ系アメリカ人だったり、、、、。
ライブを聴いてくれた彼らは、わざわざ私の所に来てくれ「故郷を思い出したよ、本当にありがとう」とか「君の前世はアイルランド人だったのかもね」等と言ってくれました。
もちろんお世辞かも知れませんが、単純に喜ぶ気持ちにはなれませんでした。
聴いて下さった方が喜んでくれた事は、嬉しかったのですが、、、、。
そんな風に考えなくても良いんじゃない?と言ってくれる人もいました。
その後しばらくして、バンド活動が中止になりました。

カウントダウンライブを経験しました

その後、バンド名変更やメンバー交代を経て、アコーディオンとギター&バンジョーと私の3人組で、WINDFALL(ウィンドフォール)となりました。
バンド名は、私が辞典の中から見付け出しました。「思いがけない授かり物」という意味です。まさに自分の気持ちにピッタリでした。
このバンドの活動は、アイリッシュパブを中心に、地方のイベントや結婚披露宴での演奏と多岐にわたっていました。
その当時のスケジュール帳を見ると、毎週の様にパブに出演していて、多いときは週に2日なんて事もありました。
その頃私は別のバンドでも歌っていたので、両方でかなり忙しい日々でした。
オカロランズ(自由が丘)、モリガンズ(四谷)、シャムロック(新宿 現在はありません)を中心に出演していました。
2001年の大晦日、新宿にあったシャムロックで、カウントダウンライブをやりました。
夜の7時頃から始まったライブは、休憩をはさみながら延々と続きました。
顔なじみのお客さんが入れ替わり立ち代わりやってきて、一緒に音楽を楽しみました。
12時近くになるとすごい眠気が襲ってきましたが、そんな私にも何度かリクエストが入ります。
それも同じ曲!! (確かにレパートリーは豊富ではありませんでしたが、、、、)
♪Carrickfergus、、、、、、最低でも3回は歌ったはずです。
流浪の旅をしていた男の人が遠く離れた故郷への思いを歌っている曲で、私のお気に入りの1曲です。
この曲をレパートリーに入れたときは、2番までの歌詞しか知りませんでした。
ある日、パブでアイルランド人のお客さんに、3番目の歌詞があるんだよと教えてもらいました。
歌詞を通して読むと更に歌の意味が深まってきて、ライブでは必ず歌う曲となりました。
♪蛍の光の合唱が始まり(外国人の方達が歌うと、意味深く感じられます)、年が明けるとクラッカーの音と乾杯の声とで大騒ぎでした。
その後もしばらくライブは続き、実に楽しいお正月を迎えました。

客席との垣根がないライブ

グループ名はTHONOUS(サナス)。フィドルとギター&バンジョーと私の3人組です。
初ライブは、原宿のビューリーズ・カフェでした。(現在はありません)
そうです、あの紅茶の老舗のビューリーズです。
当時はまだまだアイリッシュ・パブは少なく、いきなり憧れのビューリーズに出演出来るなんて夢の様でした。
出演者の私達は、入り口すぐの丸テーブルに座りました。
そこが楽屋でもあり、ステージでもあり、、、。
その時の写真が残っていますが、立ち上がって楽器を演奏する2人の前で、ちょこんと椅子に座って2人を眺めている私の姿がなんともおかしい、、、、。
私も時々立ち上がって歌いましたが、後はその特等席でお客さんになっていました。
それまでにもかなりの数のライブは経験していましたが、出演者と客席は何となく見えない境界線みたいなのがあって、そのお約束のもとライブが行われていた気がします。
でも、パブは全然違いました。
ジグやリールのリズムが始まると、そこにいるほとんどの人が足を踏みならすのです。
それはまるで打楽器の様で、聴いている人も打楽器奏者としてライブに参加しているのです。
見えない境界線を楽々越えて一緒に楽しんでいる、その感覚が新鮮だったし、心から素晴らしいと思いました。
これからこの音楽とこんな環境の中で関ることが出来るなんて、、、、もう本当に心が躍りました。

アイリッシュバンドのメンバーになる

改めて「アイルランド音楽」と出会ってから5年後の1998年に、アイリッシュバンドを始めました。
普通は、何かしら楽器を演奏出来る人が集まってバンドを立ち上げるのですが、私はボーカルだけという、ちょっと変わった存在でした。
好きな音楽とはいえ、自分の知ってる曲ばかり歌う訳には行きません。
色んな人の音源を聴き、選曲を進めました。当然、生で歌っている様子も知りたくなります。
ところがです! 楽器を演奏しながら歌う人は時々見かけましたが、歌をちゃんと歌う人がいませんでした。
確かに、CD等を聴くとボーカル曲の割合は極端に少ないですし、、、、、。
そういう訳で、私の歌の先生は録音物でした。
アイルランドの音楽は、基本のメロディーに演奏者がそれぞれ異なる装飾音を付けて演奏します。(なのに、一緒に演奏出来る不思議な音楽です)
その異なる装飾音が、演奏者の個性となります。
当然、歌にも装飾音があります。
でもその当時、どういう仕組みになっているのか分からずシンプルなメロディーでしか歌えませんでした。(この問題は、数年後アイルランドで学んだ事により解決します)
「どういう仕組み」と考えるのが、クラシックから音楽を始めてしまった人の悪い癖なんですが、それが精一杯でした。
そんな状態で、ライブ活動が始まりました。

アイルランド音楽と聞いて、何を思い浮かべますか?

エンヤの音楽の世界でしょうか? リバーダンス? 最近だと、ケルティクウーマン?
音楽の要素としては、一般的には癒しの部分が多いと思いますが、アップテンポのダンス音楽も素敵です。同じ様に聞こえる(笑)フレーズが永遠と繰り返されるのですが、自然に身体が反応して、足を踏み鳴らしたくなります。とにかくじっとしていられません。

私に「アイルランド音楽」を教えてくれたのは、当時活動していたアマチュアバンドのメンバーでした。バンドのレパートリーに加えたいというで事で、カセットテープ(すごい昔って感じ、、、)をもらいました。♪The Star Of The County Downというゆったりとした曲です。バラード曲として歌詞はあるのですが、当時は演奏だけでした。初めて聴いた時、急に冷たい秋風に吹かれた様な気分になりました。早く暖かい家に帰りたい、、。(家の中で聴いていたので変な言い方ですが)日々の生活の中で感じていた心細さが、わぁ〜と出て来て、とても悲しくなりました。でも、それが心地よかったりして、、、。

その後、図書館で色々調べていくと、私が小学生だった頃に口ずさんでいた歌もアイルランド音楽だと知り、急に身近なものになりました。♪ロンドンデリー・エア(Danny  Boy) ♪庭の千草(The Last Rose Of Summer)が大好きでした。悲しいくらい美しいメロディーを子供心にどの位理解出来ていたのか分かりませんが、とにかく特別な感じがして大好きでした。では、どうやって子供の私がこれらの曲と出会ったのかというと、2歳年下の弟通っていた英会話スクールの教材に入っていたのでした。まだ、その教材の楽譜持ってます。(かなりボロボロ、、、表紙は破れてありません) そう考えると、弟が英会話スクールに通っていたお陰で、今の私が存在しているのかも知れませんね!

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奈加靖子デビューアルバム/Wind Fall

トラッドソングから日本の曲まで、ボーカル、フィルド、アイリッシュハープの最少編成から壮大なオーケストラ風のものまで幅広いサウンド。

デビューアルバム/Wind Fallの詳細はこちら